2012年2月20日月曜日

書評:Eminent Outlaws: The Gay Writers Who Changed America

クリストファー・ブラムによるEminent Outlaws: The Gay Writers Who Changed Americaがアメリカで出版され、大きな話題を呼んでいる。
この本は戦後から21世紀の現在に至るまでのアメリカのゲイ作家を取り上げ、ブラムが「ゲイ革命は文学によって始まった」と書いているとおり、それを見事に証明した著作だ。

ブラムが取り上げた主な作家はゴア・ヴィダル、トルーマン・カポーティ、テネシー・ウィリアムズ、ジェームス・ボールドウィン、クリストファー・イシャウッド(英作家だが、後半生はほとんどアメリカ在住)、アレン・ギンズバーグ、エドマンド・ホワイト、アミステッド・モーピンら。他にも若く、現在進行形の小説家もほとんどカバーしている。何故か、ウィリアム・バロウズについてはほとんど言及していないのが気に掛かるところだが。

私は最初ゴア・ヴィダルについて言及しているという理由だけで購入して読み始めたのだが、ブラムは索引に載っていない部分でもヴィダルについて言及しまくるので、結局通読する羽目になった。

第一章の書き出しからこの有様だ。
「長崎に二つ目の原子爆弾が投下されたことによって戦争が終わり、19歳だったユージーン・ゴア・ヴィダルはニューヨークへ帰ってきた」。
ブラムは1948年をアメリカゲイ文学の出発点と位置付けている。
何故ならば、ゴア・ヴィダルのアメリカ文学史上初同性愛を正面切って肯定した『都市と柱』が最初に刊行され、トルーマン・カポーティの慎重に隠されたものの、やはり同性愛をテーマにした『遠い声 遠い部屋』が続き、駄目押しのように『キンゼイ報告』が出版されたからだ。

以降、年代を追ってこの評論は進むのだが、ほとんどのゲイ作家と友人であり、彼らについてエッセイを書きまくったヴィダルが完全に中心になり、この著作のほとんどで言及されている。
しかし、ブラムはヴィダルがゲイ文学に果たした大きな役割を認めながら、決して過大評価することなく、『都市と柱』については「1948年(初版)より1965年(改訂版)の方がヴィダルは遥かに良い作家になった」、「『都市と柱』以来、『マイラ』に至るまで彼は失敗作を生み出し続けた」と仮借ない筆を振るっている。ブラムが個人的に最も評価するヴィダルの小説はなんとゲイについてほとんど触れていない――一人だけゲイの登場人物が出て来るが、完全な脇役だ――歴史小説『アーロン・バアの英雄的生涯』。
ブラムはヴィダルが三人称より一人称を得意とすることを指摘している。
何故ならば、彼の代表作、Julian、『マイラ』、『アーロン・バアの英雄的生涯』及びエッセイは全て一人称で書かれているからだ。
私はブラムに先駆けて、昨年のインタビューで同様のことをヴィダルにぶつけたのだ。しかし、ヴィダルは「私が三人称より一人称の方が得意? それは朝起きて後ろをかくか、前をかくか、と似たような質問に過ぎない(笑)」といなしただけだったが、先程ジェイ・パリーニ――ヴィダルの文学的遺言人――とのインタビューを参照したところ、同様の質問をぶつけたパリーニにヴィダルは「イエス」と答えている。どういうことだ。

ブラムはどうやら純粋な小説家としてはカポーティやボールドウィンをヴィダルの上に置いているようだが、ヴィダルは小説以外にもインタビューで同性愛の話題についてあっけらかんと答え――例えば、54年間ずっと連れ添ったハワード・オースティンとの二人の関係は完全にノーセックスであり、キスすら一度もしたことがなく、それが関係を続けるうえでのコツだったことを答えたり――、ヴィダルの私生活に迫り、彼が「愛」を信じてないこと、セックスする際は男女問わずキスは絶対にしないこと。そのことで関係も持った女性に「あなたって最低の男よ。あなたのセックスはピカソみたい」と言われたのに対し、ヴィダルは「そうかい? じゃあ、僕はきっとピカソのような天才なんだろうな」と見事な切り返しをしたことなどを網羅、テレビで保守派の論客ウィリアム・F・バックリー・Jrと行った激しい論戦を完全再現したり――ヴィダル「お前はナチだ」バックリー「いいか、このオカマ野郎。俺をナチと言うな。殴り飛ばすぞ!」ヴィダル「お前はナチだ」バックリー「俺はナチじゃない。従軍経験だってある愛国者だ」ヴィダル「いや、お前に従軍経験がないことを私は知っている。記録に残っている」バックリー「俺は従軍している!」ヴィダル「いや、お前は従軍してないよ」――、ガチガチのヘテロセクシュアルであり、マッチョ主義者且つホモフォビアのノーマン・メイラーやヴィダルをモデルに演劇を書いたエドマンド・ホワイトとの対立、1960年の下院議員戦、1982年の上院議員戦――セクシュアルマイノリティであることをカミングアウトしている人間がアメリカの国会議員に立候補したのは史上初。何れも僅差で落選――の大いなる意義を認め、エッセイPink Triangle and Yellow Starで同性愛者とユダヤ人が一緒にナチスによって強制収容所送りになって粛清されたことから、同性愛者とユダヤ人の連帯を呼び掛けたことを賞賛し、ジャック・ケルアックやアナイス・ニンとの情事まで詳細に書き、もうこの本のほとんどがヴィダル尽くしだ。
最終章はやはりヴィダルで締めくくられている。その理由をブラムは「戦後直後から現在まで活動し続けている作家はヴィダルのみで、彼はゲイ文学のゴッドファーザーだからだ」と語る。

そして、最終章でブラムはヴィダルがハワード・オースティンと死に別れる際の哀しいエピソードを克明に描く。癌にかかり、彼らが在住していたイタリアでは満足な治療が受けられなくなったオースティンは、ヴィダルと共にアメリカのホスピスに緊急入院。手術前、オースティンはヴィダルに「キスして」と言い、ヴィダルは53年間したことがなかった最初で最後の唇へのキスをする。そして、オースティンは手術が失敗して亡くなった。「キスして」がハワード・オースティンの最後の言葉になった。
ブラムはそれ以後、ヴィダルの機知が衰え、「彼はライバルのトルーマン・カポーティの再評価に落胆の色を隠せなかったうえ、昔のアイデアを延々繰り返すだけの存在になった」とまたもや容赦ない批判を加えるが、ヴィダルの衰えと共にアメリカのゲイ文学が終焉を迎え始めたことを示唆する。
ブラムはアメリカではゲイが大きな市民権を得るようになったため、ゲイ作家達の記念館――例えば、オスカー・ワイルド――やゲイ専門書店が次から次へと閉鎖されたり、閉店し、ゲイ文学はノーマルな文学に吸収され始めていることをその論拠としている。
ブラムはゲイ文学の意義を「君は人とは違うが、一人じゃない」「君は普通ではないが、誰も普通の人間など存在しない。普通なんて概念は存在しない」と訴えかけたことだと説く。

そして、「彼らEminent Outlaws(卓越したアウトローたち)はアメリカの歴史を書き換えることに成功した」という文章でこの研究書は終わっている。

非常に緻密な――しかし、調査のやり過ぎで些か作家達の性生活に踏み込み過ぎたきらいもあるが――リサーチの結果から生み出された良書と言える。

LGBT文学、ゲイ・スタディーズに関心のある人には必読の書だ。無論、それ以外の人にも。

追記:なお、この著作は英語圏のみならず、世界中で話題になり、中国まで書評とゴア・ヴィダルの紹介が飛び火している。

Eminent Outlawsに関する書評一覧(著者のブラムのインタビュー及び中国での書評を含む。なお、あまりにも莫大なネット書評が行われたため、全てを拾い上げることは出来なかったことをご了承下さい。あしからず)
http://www.nj.com/entertainment/arts/index.ssf/2012/02/qa_with_author_christopher_bra.html
http://www.statesman.com/life/books/eminent-outlaws-tracks-rise-of-gay-american-writers-2170141.html
http://www.edgeonthenet.com/entertainment/books/reviews/biography/129072/eminent_outlaws_-_the_gay_writers_who_changed_america
http://www.salon.com/2012/02/12/is_gay_literature_over/singleton/
http://paper.wenweipo.com/2012/02/16/OT1202160010.htm








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