2012年2月8日水曜日

書評:『ダルース』

ゴア・ヴィダルが自らの小説の中でもベストにあげる『ダルース』(Duluth)はブラック・ユーモアに満ち溢れた前衛的で複雑且つ錯綜した構造を持つ高度なメタフィクションである。
『ダルース』は1983年に発表された。『ダルース』とは当時流行っていたアメリカのテレビドラマ『ダラス』に当てつけたタイトルだ。ヴィダルは愛弟子であり、文学的遺言者――要はヴィダルの死後、遺言通りに全ての著作権を管理する役目を担う――のジェイ・パリーニ(映画化もされた『終着駅―トルストイ最後の旅』の作者。小説家・伝記作家・批評家・詩人)とのインタビューで、雷鳴に打たれたようなひらめきによって一気に書き上げた小説は『マイラ』とこの『ダルース』だけだ、と語っている。
この小説はイタロ・カルヴィーノに「完全なまでにユニーク……ヴィダルはマスターだ」、ジェイ・マキナニーに「ヴィダルは大胆で先見性があるだけではなく、最高のエンターテイナーである」と絶賛され、ヴィダルを「小説家としては微妙」と評する若島正も『乱視読者の新冒険』で「戦後アメリカ小説の百冊」の中に入れている。ペンギン文庫のClassic, 20th-Century, Penguinにも収められた。
ダルースというダラスをその主要なモデルとした架空のアメリカの都市を舞台に物語は展開する。冒頭の文章はヴィダルの小説中でも白眉である。"Duluth! Love it or loathe it, you can never leave it or lose it." (「ダルース! 愛そうと憎もうと、君は決して去ることも失うこともできない」我ながら酷い訳なので、もし本格的に翻訳する時はもっとこなれた訳に改訂する)。
ダルースはアメリカの隠喩で、経済と文化の両面でアメリカを代表する大都市でありながら何故か石油を産出し、メキシコとの国境に位置しており、不気味な昆虫が生息する巨大な沼があることでも知られている。実際にアメリカに「ダルース」という街は存在するが、この小説とは無関係でもあることを知っておいて損はない。
冒頭でヒロイン二人は雪溜まりに車で突っ込み、いきなり死亡。片方はテレビの大人気ソープ・オペラ『ダルース』(『ダラス』にあてつけたもの)のキャラクターとして生まれ変わり、もう片方はハーレクイン・ロマンスを書いている女流作家の小説内の登場人物として転生し、現実のダルースでは人を全裸にして取り調べる(英語ではストリップ・サーチという)ことに執着する変態女警察官が主要登場人物になる。
一方、ただでさえメキシコから押し寄せる不法入国者に常に悩ませられている警察署の署長は、いきなり謎の宇宙船が不時着し、頭を抱える。そして、物語は壮絶な破局に向けて動き出す……。終局でダルースにカタストロフィが訪れた時、"Duluth! Loved.Loathed.Left.Lost."(「ダルース! 愛した。憎んだ。去った。失った」という冒頭の文章の捩りを見事に持って来て、この小説は幕を閉じる。
概要を書いただけでもぶっ飛び過ぎていて、何が何やら読んだ人ではないとわからないだろう。
アメリカン・カルチャーをこれでもかとばかりに諷刺し、ブラック・ユーモア全開で抱腹絶倒の代物ではあるが、SF・パスティーシュ・パロディ・メタフィクションの手法を徹底的に使用し、毎章毎に視点が切り替わり、エピソードとエピソードを錯綜させる形式を用いているだけではなく、完全な口語体で書かれている――ヴィダルは「『ダルース』は完全な口語体で書いた。そういうのは日本人に受けないんだよ。」と私に語った――ので、これは翻訳するとなるとかなりの難物だ。ヴィダルは歴史小説『リンカーン』(本の友社)――ピューリッツアー賞の候補の打ち合わせの際、ほとんどの審査委員が『リンカーン』をノミネートさせるべく票を投じたが、一人の影響力だけが強い文壇政治屋のヘボ作家が「『リンカーン』は売れ過ぎているからピューリッツアー賞に相応しくない」という妬みから来る意味不明な主張を頑強に繰り返した結果、ノミネートから外され、ヴィダルは激怒した、とフレッド・カプランによるヴィダルの伝記には書いてある――が一番自分の著作の中で読まれていると考え、イギリスの全ての図書館に自作で最も貸出が多い作品はどれか問い合わせたところ、『ダルース』がダントツで一位だったため、驚愕した――『ダルース』はほとんど宣伝が行われないまま出版されたので、"Julian"で小説家として復帰後は小説を発表する度に100万部越えは軽いヴィダルにとっては全くと言っていいほど売れなかった作品だった――と序文で語っている。















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