2011年5月25日水曜日

Gore Vidal in Ravello Part3

・An Interview with Signor Vicenzo Palumbo at Hotel Villa Maria(ホテル・ヴィラ・マリッアでのヴィンセンゾ・パルンボ氏へのインタビュー 2011年3月9日~10日)

 ラ・ロンディネイアでのインタビューに引き続き、ホテル・ヴィラ・マリッアのロビーでヴィンセンゾ・パルンボ氏は2度に渡るインタビューに答えてくれた。私はゴア・ヴィダルの私生活にかなり踏み込むことを決意して、このインタビューに臨んだ。
インタビューが行われたホテル・ヴィラ・マリッアのロビー
――あなたとゴア・ヴィダルはどれだけ親しい間柄なのですか?
「私とヴィダルの付き合いは彼がラ・ロンディネイアを買った1972年から今までずっと続いている。39年になるね。去年(2010年)の夏、息子はロサンゼルスの彼の自宅に招かれた。彼はヴィダルの大ファンでね。私もそうだが、ヴィダルの本を全て読んでいる。ヴィダルも彼を可愛がっている」
――あなたが最も気に入っているヴィダルの著書は?
「回想録Palimpsestだね。小説だと『マイラ』と『マイロン』だ。ほら、そこの本棚に3冊ともある。彼はイタリアで非常に評価が高く、ベストセラー作家だ。ほとんどの著作はイタリア語に翻訳されている」
 ローマで日参した英書専門書店アングロ・アメリカン書店のマネージャーも同様のことを語っていた。9.11に関するヴィダルのエッセイ集Perpetual War for Perpetual Peace or How We Came To Be So Hated(2002)はアメリカ政府の対応への激烈な批判によって出版拒否に遭い、イタリアで先に出版され、話題を呼んだことで、ようやくアメリカで出版された。イタリアを代表する小説家、故・イタロ・カルヴィーノとゴア・ヴィダルは友人で、カルヴィーノはヴィダルの小説『マイラ』とDuluthを高く評価している。
――彼の毎日の生活はどんなものだったのでしょうか?
「彼はラ・ロンディネイアに引き篭もっていたが、ホテル・ヴィラ・マリッアのリストランテには毎日のように来たよ。ランチとディナーに来ることが多かった。大抵は仲の良いアメリカ人夫妻とハワードが一緒だったね」
ヴィダルが毎日通ったホテル・ヴィラ・マリッアのリストランテの看板
ヴィダルが毎日食事を摂ったテラス
 パルンボ氏は席を離れると本棚へ向かいながら言った。「それと有名人が泊まりに来ると必ずここへ連れてきた。ヴィダルのプライベート写真を見せてあげよう」彼は革で装幀された2冊の分厚いアルバムを取り出して戻って来た。そこにはどの媒体にも掲載されたことがないヴィダルやヴィダルとセレブ達のプライベート写真が満載だった。
パルンボ氏とヴィダル(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
ヴィダルとBBCの記者(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
左から一人置いてヴィダル、立っているのがパルンボ氏、ティム・ロビンス、スーザン・サランドン(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
左からヴィダル、ハワード・オースティン、ジョアン・ウッドワード(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
左からヴィダル、パルンボ氏、一人置いてルドルフ・ヌレーエフ(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
マット・ディロン(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
写真左、マット・ディロンの肩に手を掛けているのがパルンボ氏、右端がハワード・オースティン(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
――ヴィダルがラヴェッロで一番お気に入りだった場所は何処でした?
「自宅であるラ・ロンディネイアを除けば、ここだ。ホテル・ヴィラ・マリッアだ。お陰でここはゴア・ヴィダル・ファンの聖地のようになってしまっていてね(笑)五日前にもヴィダルの大ファンが泊まりに来たよ。君に会わせたかったな」
――ヴィダルは「ヴィラ・チンブローネのテラスから見る眺めは世界中で一番美しい」と言っていますが?
ヴィラ・チンブローネからの眺め
「それには秘密がある(笑)実はラ・ロンディネイアとヴィラ・チンブローネは一つの建造物なんだよ。プライベートな通路で繋がっているんだ。だから、ヴィダルは自由にヴィラ・チンブローネに出入り出来たわけだ」
――あなたがヴィダルと交わした会話の中で最も印象に残った言葉はありますか?
「彼は本当に人を笑わせることが好きで機知に富んでいた。33年間、毎日のように会話していたから今すぐ彼の印象に残っている言葉を一つだけあげろ、と言われても、とてもじゃないが思い出せないな。とにかく彼は知識と教養に溢れた男で、文学・政治・歴史・映画・時事問題、その他ありとあらゆることについて話したんだ。話題の引き出しは無尽蔵だったね」
――ヴィダルとハワード・オースティンは同性同士のカップルですが、奇異の目で見られたり、差別されたりはしませんでしたか?
「ヴィダルとハワードはゲイ(川本注・正確に言えばヴィダルはゲイではない。彼はゲイというレッテルもホモセクシュアルというレッテルも拒否している。女性との交際関係も豊富でポール・ニューマンがジョアン・ウッドワードと結婚する前にウッドワードと婚約していたこともあるくらいだ。しかし、バイセクシュアルというレッテルも嫌いで、パンセクシュアル――全性愛――という呼称を自分に当て嵌めるのを好む)だったからと言って、ラヴェッロで差別されたり、好奇の視線を浴びせかけられたりすることは全くなかったよ。この街にはアンドレ・ジッドやE・M・フォースターやヴァージニア・ウルフやトルーマン・カポーティやグレタ・ガルボ、パゾリーニのようなゲイやレズビアンやバイセクシュアルが大勢来ていたから、そういうことに関する偏見がないんだ」
――ということは、ヴィダルとオースティンはラヴェッロで普通に生活を営んでいたわけですね。
「そのとおり。ヴィダルは確かに引き篭もりがちだったが、散歩に出掛けることはよくあった。ただし、彼は一筋縄では行かない警戒心の強い、気難しい男でね。住民と打ち解けないんだ。彼に近づくのは容易なことではない。一旦、仲良くなってしまえば、非常に礼儀正しくて、親切で、優しくて、面白い人物なんだが。ラ・ロンディネイアを案内した時も言ったが、ハワードとは好対照だったんだ。ハワードは本当にフランクなナイス・ガイで街の人気者だったからね」
――そのハワード・オースティンは2003年に癌で亡くなりました。その時のヴィダルの様子はどうでしたか? オースティンの死が原因でヴィダルはラヴェッロを去ったのですか?
「ヴィダルは2003年にハワードが死んだ時は本当に悲しんだ。あれだけ健康な男なのに悲しみのあまり病気になってしまったほどだ。しかし、ヴィダルがラヴェッロを去ったのはそれが原因ではない。膝を壊したんだ。手術を受けたが治らなかった。お陰で彼は車椅子生活を余儀なくさせられている。1人で立つことすらままならない。立つ時はいつも誰かに手を貸して貰っている。ラヴェッロは階段だらけで歩けない人間は暮らしていけないからね。今はロサンゼルスに住んでいるよ」
――ヴィダルの健康状態は大丈夫なんですか?
「上半身は(笑)元気だよ。実は彼は去年の夏、ラヴェッロに来たんだ。とても元気だったし、頭の回転も衰えてはいなかった。車椅子になる前の彼と変わらなかったよ」
――去年、ヴィダルがポンペイを訪れていたのをニュースで読みました。
「そうだ。彼はイタリア再訪の旅に来たんだ。ポンペイに来る前にラヴェッロにやって来た。しかし、彼は車椅子だから、多くの階段を上って行かなければならないラ・ロンディネイアを再び訪れることは出来なかった。残念なことだ」
――ラ・ロンディネイアで起きた面白いエピソードを教えて下さい。Palimpsestにも書かれていますが、1994年7月にファースト・レディー時代のヒラリー・クリントンがヴィダルを訪問しましたよね?
「あれも大事件だったが、私が一番驚いたのはイタリアのTV局がヘリコプターでラ・ロンディネイアをアマルフィ海岸上空から空中撮影した後、そのままラ・ロンディネイアに無理矢理着陸して、ヴィダルにインタビューを始めたことだね。あの時は街中大騒ぎだった(笑)」
――ヴィダルは自分に関して書かれている伝記のほとんどが間違っていると言っています。親友のあなたから見て、彼の意見は正しいと思いますか? 彼は嘘や作り話だらけだと言っていますが。
「そんなことを言っているのか(笑)」パルンボ氏は急に断固とした口調になった。「私も幾つかの伝記に目を通したが、間違ったことが書かれているとは思っていない。どれも正しいことが書かれていると思う」ここでパルンボ氏は悪戯っぽく笑って私の目を覗き込んだ。どうやら「ヴィダルは気難しい男だって言っただろう?」と言いたかったようだ。
――フレッド・カプランの伝記でハワード・オースティンは「ヴィダルは豚だ。大食漢だ」と言っています。彼はそんなに食べるんですか? 一時期太ったのはそれが原因ですか?
「いいや、その発言は正しくないよ。彼は大食ではない。至って普通だな。ただし……酷い大酒飲みなんだ」
――「アメリカの作家はみんなアル中だ。アメリカにいたら作家はみんなアル中になってしまう。アメリカには何処かそういうところがあるんだ」(日本の文学書にこの問題発言は取り上げられたことがある)と言ったヴィダルがですか? フレッド・カプランの伝記には、ヴィダルが午後5時までは絶対飲まないようにしていた、と書いてあります。
「とんでもない! 彼はここ、ホテル・ヴィッラ・マリアに来て朝の10時からウィスキーを生で飲み始めることがしょっちゅうだったよ(笑)ウィスキーとウォッカがお気に入りでね」
――確かに、胃にポリープがあるのにウォッカを寝酒に飲んで就寝し、翌朝、ポリープが潰れて大量に吐血し、病院に担ぎ込まれたことは、ニュースでも取り上げられました。
「ああ。まあ、丈夫なうえ病院嫌いな男なので3日で退院してしまったが……(笑)」
――ヴィダルは「肺に煙を吸い込めないので煙草はもちろんのこと、マリファナやアヘンはやらないが、コカインは旬の牡蠣のようなものだからたまにはやることがある」と書いています。あなたはヴィダルがドラッグをやっているのを見たことがありますか?
「ドラッグをやっているところは見たことがない。それらしき様子だったことも見たことがない。33年間、1度もだ。酒だけだよ」パルンボ氏は意味深に笑いながらまた私の目を凝視した。「ヴィダルは偽悪家なんだよ」と彼が言いたがっているのがよくわかった。私は最後に相当明け透けな質問をぶつけることにした。
――ヴィダルは「私がエイズにならなかったかったのは、50代くらいから人とベッドを共にすることがなくなったからだ」と書いており、「年を取ると、セックスが訴訟に取って代わる」とマーティン・エイミスのインタビューでも発言していますが、本当のところはどうでしょう?
「さあ?(笑)どうだろうね(笑)彼はゲイ(川本注・だから違うって)だからね(笑)」と言うと、パルンボ氏は意味ありげな微笑を何度も何度も顔に浮かべながら私と握手し、インタビューは終了した。

 パルンボ氏が語ったゴア・ヴィダル像はアメリカやイギリスにおける彼のパブリック・イメージとそれほど差異はない。しかし、ヴィダルが「嘘は罪悪だ」と虚言症で有名だったライバルのトルーマン・カポーティを徹底的に攻撃し、100万ドルもの賠償金を要求する裁判を起こして最終的に謝罪させた割には、ヴィダル自身も細かい点では――罪のない誤魔化しがほとんどで嘘も方便と言ったところだが――私生活を守るためだったり、「冷戦時代のマルキ・ド・サド」の異名をとる自分のパブリック・イメージを強調するためにわざとアンモラルな人間であることをアピールしようと、事実と異なることを書いたり、発言したりしていることはよくわかった。そういった意味では実に有意義なインタビューだったと言えるだろう。そして、このインタビューの翌日、東日本大震災が起こり、その被害は遠くラヴェッロにも間接的に及ぶのだが、それはまた別の話だ。

 この他にヴィダルのパートナーだった故・ハワード・オースティンに関する取材をラヴェッロの住人に行いましたが、その記事の中の一部を『バディ』8月号(6月21日発売)に使ったので、『バディ』からの転載許可を待っています。Gore Vidal in Ravello Part4でそのインタビューを掲載する予定です。今暫くお待ち下さい。

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