2011年5月17日火曜日

Gore Vidal in Ravello Part1

・Ravello(ラヴェッロ)

ラヴェッロ

ラヴェッロの広場


ラヴェッロの広場に通じるトンネルへ入るとゴア・ヴィダルの巨大なポスターが出迎えてくれ
ラヴェッロは人口2506人のイタリア共和国カンパニア州サレルノ県のコムーネである。南イタリアの自治都市で最寄りの大都市はナポリ。世界的に有名な観光地、アマルフィの崖の上にあり、さながら空中都市のような景観を誇る。自動車が入れるのは広場まで。張り巡らされた階段のせいで街の中は徒歩しか移動手段がない。
交通の便は非常に悪く、ナポリ中央駅からタクシーもしくはラヴェッロのホテルの送迎タクシー――私はそうした――に乗って1時間30分ひたすら山中をドライブするか、ナポリ・カポディキーノ国際空港からバスでアマルフィに向かい、そこで再びラヴェッロ行きのバスに乗り換えるしか辿り着く手段はない。
ラヴェッロの歴史は紀元5世紀に始まり、11世紀に僧侶達によって広場に教会が建てられたことによって大きな発展を遂げた。19世紀から20世紀にかけてイギリスのオックスケンブリッジの学者・学生たちがグランド・ツアーで訪れるようになり、英国の観光客が激増した。
リヒャルト・ワーグナーもこの街を訪れ、ヴィラ・ルッフォロからの眺めを見て最後の歌劇『パルジファル』の啓示を受け、『パルジファル』の第2幕をこの街で作曲した。ラヴェッロには「リヒャルト・ワーグナー通り」があり、ヴィラ・ルッファロでは毎夏、ラヴェッロ野外音楽祭が開かれる。
ワーグナーが感銘を受けたヴィラ・ルッファロからの眺め
 ラヴェッロを訪れた文学者は多く、特にブルームズベリー・グループのお気に入りの場所となり、EM・フォースター、DH・ロレンス、ヴァージニア・ウルフなどが1930年代に滞在し、著作の執筆を行った。その後、アンドレ・ジッド、グレタ・ガルボ、オーソン・ウェルズ、映画『悪魔をやっつけろ』の撮影に訪れたトルーマン・カポーティ、ジョン・ヒューストン、ハンフリー・ボガート、ジーナ・ロロブリジータ、ジェニファー・ジョーンズ一行やパゾリーニなどセレブリティも訪れるようになり、現在のラヴェッロは上流階級の観光客が集まり、広壮な邸宅が建ち並ぶ高級別荘地となっている。

Gore Vidal in Ravello and La Rondinaia(ゴア・ヴィダルとラヴェッロ、そしてラ・ロンディネイア)
ラ・ロンディネイア
 ゴア・ヴィダルがテネシー・ウィリアムズと共に最初にラヴェッロを訪れたのは1948年だった。1950年代後半にヴィダルはアメリカを去り、ローマに居を定め、執筆活動を行っていたが、交通渋滞と騒音に悩まされてローマを去る決意を固めた。
そこで彼は1972年、恋人のハワード・オースティンと共にラヴェッロを再訪。ヴァージニア・ウルフも住んだことのある邸宅ラ・ロンディネイアを購入し、以後、執筆活動のほとんどをそこで行った。ラ・ロンディネイアは英名でスワローズ・ネストといい、読んで字の如く「燕の巣」という意味である。アマルフィ海岸の絶壁の上に燕の巣のように建っていることからこの名がついた。ヴィダルはアメリカ、ロサンゼルスにも家を所有していたが、ラ・ロンディネイアを離れるのは主に著作のプロモーションやTV出演、政治活動、旅行のためだけとなった。
 ヴィダルがラヴェッロに与えた影響は非常に大きい。アメリカで絶大な知名度を誇る彼がラ・ロンディネイアに友人のセレブリティ――ジャクリーン・ケネディ(ヴィダルの血の繋がっていない義理の兄妹)、レナード・バーンスタイン、ポール・ニューマンとジョアン・ウッドワード夫妻、ルドルフ・ヌレーエフ、スーザン・サランドン、ミック・ジャガー、アンディ・ウォーホル、マット・ディロン、ティム・ロビンス、ヒラリー・クリントンなど――を多数招いたため、ラヴェッロは更に英語圏の著名人の社交場と化した。ヴィダルが2005年にラヴェッロを去った後もその影響は残り、現在でも世界各国からリッチ・アンド・フェイマスやゴア・ヴィダルのファンが多数訪れている。

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