2011年11月19日土曜日

『映画秘宝』ゴア・ヴィダルインタビュー


 このインタビューは6月30日に行われ、『映画秘宝』10月号(8月20日発売)に掲載されたものを加筆・修正し、転載したものである。『映画秘宝』松崎編集長了承済み。雑誌の性質上、インタビューは映画に関することに終始している。


――あなたは『マイラ』について「物語の半分に辿り着くまで彼女が性転換した映画評論家であることを知らなかった。マイロンはマイラになったのだ。何故だろう? わたしは笑いながら書き続けた」と回想録で書いています。書き終わるまでにどれくらいかかりました?
ヴィダル 書くのには3000年かかったよ。その間ずっと私は女だった(笑)。
――マイラが小説内で語る、男を去勢し、人口を抑制するという思想はあなた自身の思想と思っていいのですか? 実際、『マイラ』の続編『マイロン』では全ての男が去勢されます。
ヴィダル 黙示録的思想だな。世界の終末だ。あれはジョークだよ。
――日本では最近、映画『マイラ ―むかし、マイラは男だった――』のDVDが発売されました。あなたは「1度も観たことがない」と公言していますが、監督のマイケル・サーンの演出が気に入らなかったのですか?
ヴィダル マイケル・サーンを映画監督だと思っているのは日本人くらいだ。あいつは愚かで馬鹿で何の才能もない。彼は『マイラ』で映画を撮りたかったんだ。アメリカで、いや世界で、小説として最もホットな本だったからだ。流行るとわかっていたからだよ。
――それでは『マイラ ――むかし、マイラは男だった――』を観ていないのですか?
ヴィダル 観ていない! 地獄を見たかと訊くようなものだ。地獄がどんなものか見る必要はない。マイケル・サーンなんてどうでもいい男だよ。
――日本では今、トランスジェンダーや性同一性障害の芸能人が脚光を浴びています。そのうえ、若い男の子の間で女装が流行っているんです。「男の娘」という言葉まで生まれました。
ヴィダル 私は日本の若い男の子にもアメリカの若い男の子にも興味はない。若い男の子自体に興味がないんだ。
――例えば、彼女は性同一性障害の芸能人です。
ヴィダル (椿姫彩菜の写真を見ながら興味がなさそうに)だからどうした?
――彼女もそうですよ。
ヴィダル (最近出版された佐藤かよのフォトエッセイ『Re-born』を見て驚きながら)彼女もそうなのか!? そんな感じはまったくしないな! マイラは確かに性別を変える度に手術を受けて、女になったり、男になったりしたが、「性転換はどういうものですか?」なんて私に訊かないでくれ。私にはわからない。この前、ジェーン・フォンダのパーティに行ったんだが、そこにいた連中みんなが性同一性障害や異性装者だったんだ。とても変な感じがしたよ。彼らは自分達を「犠牲者」だと思っていた。アメリカ人は自分達が「犠牲者」になるようにデザインされているんだ。
――1955年、あなたはテレビの脚本に携わるようになりました。それまでテレビを持っておらず、テレビを買って来て、30分のテレビドラマを1本観ただけで脚本を書き始めた、という伝説は本当ですか? テレビの脚本を書くのはそんなに簡単なことなのでしょうか?
ヴィダル それが本当なら私は1年後にはテレビの王者になっていただろうね(笑)。毎週、私はテレビ脚本を書いたよ。テレビドラマなんてまったく見ていない。馬鹿な小説を自分の小説を書く前に読まないのと同じことだ。悪影響を受けるからね。
――ブロードウェイで大ヒットした演劇『ある小惑星への訪問』は「イカレた宇宙人が南北戦争時代と間違えて現代にやって来て、好奇心から戦争を起こそうとする」という素晴らしく諷刺の効いた作品ですが、映画化された『底抜け宇宙旅行』は妙な出来になってしまいました。
ヴィダル 主演のジェリー・ルイスは最低のコメディアンだ。彼が主演するなんてまったく聞かされていなかった。だから、観てもいないし、これからも観る気はない。今年演劇の方がリバイバルされる。3度目だよ。
――あなたは議員に立候補した経験を生かし、The Best Manを書き上げ、ブロードウェイで大ヒットさせました。ヘンリー・フォンダ主演でThe Best Man(日本未公開)は映画化され、あなたは原作だけではなく、脚本も担当しました。この作品があなたの手掛けた映画作品の中で最も満足出来たものではないのですか?
ヴィダル アメリカで一番経済的に成功しているから、私がどう思おうと関係なく、みんなが一番だと言うね。来年、演劇の方が大統領選挙に合わせてリバイバルされる。5度目だ。しかし、演劇や映画やテレビは芸術の形式ではない。工芸品なんだよ。ヘンリー・ジェイムズは「シアターはアートではない。シアターはシークレットだ」と言った。私はそのシークレットをマスターしたんだ。アートとしてはどうでもよかった。
――映画『セルロイド・クローゼット』で『ベン・ハー』の脚本書き換えにあたって、ベン・ハーとメッサーラが抱き合うシーンを挿入し、二人が同性愛関係にあることを暗示させた、と語っていらっしゃいます。
ヴィダル それ以外になんて言えばいいんだ? 抱き合って恋に落ちているわけだろう? 映画を観た人間でセックスが何かわかっていたら、あれが何かわかっていたはずだ。ハリウッドを牛耳っているユダヤ人どもは「あれはただ仲が良いだけだ」とほざいているが、私は金のために主義を曲げたりはしない。
――どうしてあなたは脚本にクレジットされなかったのでしょう? 
ヴィダル スクリーン・ライターズ・ギルドというのは酷いところで、スラム街へ行って適当な人間を連れて来た方がこの組合にいるライターよりはマシだ。ローマで脚本を書いてハリウッドのプロデューサーに郵送したら、その時ハリウッドにいたライターが盗んだんだ。泥棒だ。泥棒だ! 泥棒だ!! 泥棒だ!!! 泥棒だ!!!! そいつは私の脚本を手に入れて、自分の手でコピーしたんだ。良い脚本はよく盗まれる。犯罪者の集団であるスクリーン・ライターズ・ギルドはそいつにクレジットをあげてしまった。カリフォルニアの最高裁判所に行って告訴してやったよ。もちろん、私は勝った。
――あなたは『去年の夏 突然に』の脚本を書きましたが、テネシー・ウィリアムズの原作のままだったのでしょうか?
ヴィダル 大体そうだ。キャサリン・ヘップバーンの演技は素晴らしかった。ゲイのセバスチャンが少年を引っかけるためにヘップバーン演じる母親をポン引きとして使っていた。ところが、「去年の夏、突然に」母親はもう若くなくなってしまった。そこでエリザベス・テイラーが演じる従妹が若者を引っかける餌になるわけだ。最終的にはセバスチャンは食い物にしていた少年達に文字通り食われてしまうわけだが。カニバリズムだ。テネシーはやり過ぎだったよ。検閲は受けなかった。1シーン、取り除かれそうになった部分はあった。「神は背徳的だ」と言う台詞だ。私が書いたものだ。それが問題になっただけだ。
――『パリは燃えているか』のフランシス・フォード・コッポラとの共同作業はどうでした? 
ヴィダル あいつは私のアシスタントだった。とても無名だった。
――彼は脚本を書くのがかなり早かったようですが。
ヴィダル どんなに早かろうと関係ないね。ヘタクソだったら意味がない。私は彼のファンではない。子供みたいなやつだと思ったよ。重要なことは何一つしていない。
――監督としてのフランシス・フォード・コッポラをどう思います?
ヴィダル どうでもいいね。あいつは書くことも、映画を撮ることも、演技指導さえもデタラメなんだ。ハリウッドにはデタラメなやつが100万人ほどいるよ。
――あなたは『カリギュラ』の脚本を書きましたが、「あれはジョーク・ムーヴィーだ」と語っています。
ヴィダル ボブ・グッチョーネとティント・ブラス。あいつらが映画を撮りたいと言ったんだ。それが悪夢の始まりだった。ポルノグラフィを撮る連中さ。
――スタジオでは何があったのでしょう? 真相を語って下さいますか。
ヴィダル みんなが金を盗もうとしていたよ。このことについて書かれた本がある。もうすぐ出版されるから読むといい。インド人が書いた本なんだが、タイトルは『カリギュラ』だ。金についての本だ。とにかくスタッフはどれだけ金を盗むか考えているだけだった。これに尽きる。私は犯罪には興味がないし、犯罪にまつわる話にも興味はない。だから、『カリギュラ』についてコメントすることに興味がない。
――『カリギュラ』のオリジナルの脚本は現存していますか?
ヴィダル あるよ。スエトニウスが『ローマ皇帝伝』で書いたカリギュラの生涯に忠実な脚本だ。ハーバード大学にある。私に関する全ての文書はハーバードに保管されている。
――2005年にTrailer for a Remake of Gore Vidal's Caligulaという短いジョーク・フィルムを作り、自ら出演なさっています。ヘレン・ミレンやミラ・ジョヴォヴィッチ、そしてカリギュラをコートニー・ラヴが演じるという豪華キャストによる奇想天外な短編映画ですが。
ヴィダル 良いジョークだろう。わかるかい? ハリウッドは私に長い間、本当に良い思いをさせてもらったはずなんだ。連中は私から題材を盗むんだ。やつらは書けない。やっと読めるくらいなんだ。だから、いつも私から盗もうとする。幸いなことにアメリカ人にはまったくユーモアのセンスがない。彼らは何がジョークかわかっていない。何故なら、大抵は彼ら自身がジョークだからさ。
――ミック・ジャガーは『大予言者カルキ』を自分の主演で映画化することを熱望し、製作に取り掛かりましたが、実現しませんでした。その時のエピソードを訊かせていただけますか?
ヴィダル ミック・ジャガーはカルキにうってつけだったと思うよ。何故、実現しなかったかは私の知るところではない。
――あなたは『大予言者カルキ』の映画化権を売却しています。近い将来、『大予言者カルキ』が映画化されることは有り得るのでしょうか?
ヴィダル 映画化されないことを望むね。これ以上スクリーンにクソを載せたくないだろう?
――あなたはフェデリコ・フェリーニと親しく、彼はあなたをゴリーノと呼んでいたそうですが。
ヴィダル そうだ。私は彼をフレッドと呼んでいた。
――『フェリーニのローマ』に出演した際のエピソードを教えて下さい。映画の中で終末論を語っていますが。
ヴィダル あれはフレッドが書いた台詞じゃないんだ。私がフレッドにあげた台詞なんだ。私が言った台詞は全て私によって書かれたものだよ。ところで『ガタカ』は観たかい?
――とても良い演技でしたね。
ヴィダル どうもありがとう。脚本が良かったんだ。
――あなたは1990年代に『ボブ★ロバーツ』、『きっと忘れない』、『ガタカ』と立て続けに俳優として出演なさいました。何故、突如、映画俳優としてどの映画でも重要な役回りを演じる気になったのでしょうか?
ヴィダル 金のためだね(笑)。
――特に『ガタカ』は日本でも評価が高く、私も大好きな映画です。
ヴィダル そりゃ良かった。
――『ガタカ』で殺人犯の役を演じていますね。
ヴィダル そうだよ。ほっとしたよ。いつもは不本意ながら、年寄りの優しい教授みたいな役をやらされるんだ。だから、説得力のある殺人犯だっただろう(笑)
――撮影中、何か面白いエピソードはありましたか?
ヴィダル ない。映画製作で面白いことはまったくない。映画製作が好きな人間にとっては別の話だが。そういう連中はいつも何かを見つけて書くけどね。
――あなたは2000年に出版したThe Golden Ageを最後に、小説を発表していません。最近はエッセイも書いておられません。今何か小説を書いていらっしゃいますか? 私はあなたが米西戦争について小説を書いているとインターネットのニュースで読みました。
ヴィダル そうだ。まだ始めてもいないが、アメリカの帝国主義の始まりと野心について書こうとしている。アメリカのトレードマークとも言うべきもので、それがなかったら世界は破壊されなかっただろう。恐らく最後の小説になる。いつも最後の小説にしようと思っているんだが、そうはいかなくなるんだ。
――普段はご自分の時間をどのように使っていますか?
ヴィダル アメリカを文明国家にするために頑張っているよ。

2011年9月6日火曜日

明日発売の『新潮』に「ゴア・ヴィダル会見記」を寄稿


 明日発売の『新潮』に「ゴア・ヴィダル会見記」を寄稿しました。『映画秘宝』と対を成す内容で、文学的なインタビューはこちらに執筆しましたので、興味のある方は是非お読みになって下さい。

2011年8月23日火曜日

『映画秘宝10月号』にゴア・ヴィダルのインタビューを寄稿

 

 『映画秘宝10月号』に「Hiho VIP INTERVIEW ゴア・ヴィダル」を寄稿しました。
 ゴア・ヴィダルは聞きしに勝る毒舌で、正直、かなり現場では私手こずったのですが、どうにかこうして記事として形にすることが出来ました。
 興味が御有りの方は是非読んでみて下さい。

2011年8月14日日曜日

ゴア・ヴィダルがアルジャジーラに登場

 ゴア・ヴィダルがアルジャジーラ・イングリッシュのOne On Oneに出演しました。
 私がインタビューした時より体調が良いようで、怒気を孕んだ態度ではなく、リラックスしてかなり達者にインタビューを受けています。
 しかし、やはり文学関係の質問はあまりなく、主にこれまでの彼の人生や政治哲学について語っています。私がインタビューした時にも感じたのですが、彼は自作について語るタイプの作家ではないようですね。

2011年7月3日日曜日

ゴア・ヴィダルにインタビューし、帰国

 
 どうにか無事にゴア・ヴィダルにインタビューして帰国致しました。
 2日間続けてインタビューする予定だったのですが、伝達が上手くいっておらず、1日だけになってしまったお陰で、3時間もインタビューすることになったり、ヴィダル自身のコンディションが非常に悪かったり、とトラブル続きでした。
 詳しくは、これから掲載される「映画秘宝」のインタビュー記事と「新潮」の記事をご覧下さい。
 現在、テープ起こし中です。

2011年6月28日火曜日

明日、渡米し、ゴア・ヴィダルにインタビュー

 明日、6月29日渡米し、6月30日及び7月1日にロサンゼルスにてゴア・ヴィダルにインタビューして来ます。帰国は7月3日になります。インタビューの掲載誌は『映画秘宝』で決定していますが、今日、柳下毅一郎先生の仲介で『新潮』に会見記を書くことが決定致しました。
 一面識もない私のために八方手を尽くして掲載誌を探して下さった柳下毅一郎先生には感謝しても感謝し切れません。
 ベストを尽くして参ります。それではいってきます!

2011年6月20日月曜日

明日発売の『バディ』に「ゴア・ヴィダル ~知られざる同性愛文学の巨匠~」が掲載


 明日、6月21日発売の『バディ』8月号に執筆した「ゴア・ヴィダル ~知られざる同性愛文学の巨匠~」が掲載されます。
 私の記憶が確かならば、日本における活字媒体におけるゴア・ヴィダル紹介記事は今は亡き『月刊プレイボーイ』に掲載されたインタビュー(アメリカ版からの転載。1999年)以来、12年振り。
 掲載誌の性質上、同性愛方面からのアプローチが多くなりましたが、ヴィダルのこれまでの歩み、小説だけではなく、映画関係の代表作も網羅し、ヴィダルとパートナーのハワード・オースティンの愛の物語などが収録された、写真も満載のカラー2Pによる渾身の特集記事なので、ゴア・ヴィダルに興味のある方は是非お読み下さい。
 基本グラビア雑誌の『バディ』なのにこんな硬い記事を載せて戴いて、編集部の皆さんには頭が上がりません。ありがとうございました。

2011年6月18日土曜日

ゴア・ヴィダルとのインタビュー、完全にアポイントメントを取ることに成功

 ゴア・ヴィダルとのインタビュー、完全なアポイントメントを取ることに成功しました。
 6月30日と7月1日にロサンゼルスのゴア・ヴィダルの自宅にてインタビューです。
 私は6月29日に渡米し、時差の関係から6月29日当日にロサンゼルスに到着。7月3日に帰国します。掲載誌も『映画秘宝』に決定し、打ち合わせも既に済ませました。また、文芸誌で1誌、今回の会見に興味を持って下さった雑誌がありますので、現在連絡を待っています。ご期待下さい。

2011年6月16日木曜日

いつの間にかゴア・ヴィダル公式サイトが出来ていた

The OFFICIAL WEBSITE of Gore Vidal

 一体いつの間に……。もちろん、ゴア・ヴィダル本人はPCを操作出来ないので、出版社かエージェントか身近な誰かが作っているんでしょうが、昨日某映画雑誌にゴア・ヴィダルのインタビュー記事の打ち合わせに行った後に、FacebookにこのURLが投下されていたことは驚きでしたね。
 今日のニュースは1956年のゴア・ヴィダルの演劇Visit to a Small Planet(邦題『『ある小惑星への訪問』/ジェリー・ルイス主演による映画の邦題は『底抜け宇宙旅行』)がリバイバルされるというものでした。
 ゴア・ヴィダルとのインタビューは本決まりになっており、私は6月29日に渡米する予定です。乞うご期待!

2011年6月6日月曜日

真の『カリギュラ』が甦る? Trailer for a Remake of Gore Vidal's Caligula

 このショート・フィルムの正式名称はTrailer for a Remake of Gore Vidal's Caligula.1980年、ゴア・ヴィダルが脚本を担当したものの、製作のボブ・グッチョーネや監督のティント・ブラス、主演のマルコム・マクダウェルなどに脚本を改変されてしまった映画『カリギュラ』をゴア・ヴィダル自身がリメイクし、その予告編を作った、という架空の設定の下、作られたジョーク・フィルムで、ヴィダルが審査委員長を務めた2005年のヴェネツィア国際映画祭で発表された。
 超猥雑でかなりアホな内容ですが、ミラ・ジョヴォヴィッチ、ヘレン・ミレン、コートニー・ラヴ、ゴア・ヴィダル自身と超豪華キャストで製作されたものなので、一見の価値あり。脚本はもちろんゴア・ヴィダル。未見の方はどうぞ!

2011年6月5日日曜日

ゴア・ヴィダルへのインタビューにあたっての難点

 ゴア・ヴィダルはその生涯があまりにスキャンダラスなため、未だ文学者からのアカデミックなアプローチが少なく、参考に出来る文学的な先行研究があまり存在しない。これが今回インタビューを前にして質問を作成するにあたって大変苦慮しているところである。政治評論家としての活動があまりにも顕著なため、彼へのインタビューはほとんどが政治絡みの質問で埋め尽くされることが多く、文学的インタビューは少ない。ヴィダルの包括的な伝記としてはニューヨーク市立大学の英文科教授、Fred Kaplan(ヘンリー・ジェイムズ、ディケンズ、トマス・カーライルの伝記で有名)による850ページにも及ぶGore Vidal:A biography(1999)があるが、あまりにヴィダルの伝記的側面に著者が魅了されているため、個々の作品についてはおざなりな論評しか行っていない。
 文学的側面からのアプローチとして最も優れた本は、ヴィダルのLiterary executor(文学遺言人とでも訳せばいいのだろうか)であるジェイ・パリーニ(伝記小説『終着駅―トルストイ最後の旅』が新潮文庫から刊行されている)が編纂したヴィダルに関する文学者達のエッセイを集めたアンソロジー、Gore Vidal:Writer Against The Grain(1992)で、有名どころではイタロ・カルヴィーノが『マイラ』とDuluth、ハロルド・ブルームが『リンカーン』について論じており、ジェイ・パリーニ自身によるゴア・ヴィダルへの文学に関するインタビューも収録されていて、大変参考になるが、ヴィダルを高く評価し、エッセイで何度もヴィダルを論じたアンソニー・バージェスのエッセイ群が含まれていない点で画竜点睛を欠く。
 他にはSusan Baker(ネバダ州立大学英文科教授。専門はフェミニズムとシェイクスピア)とその夫が出版したGore Vidal:A Critical Companion(1997)があるが、従来の批評家の意見に従い、ヴィダルを専ら歴史小説家として論じているので、目新しい発見は何もなかった。
 最近では著名なオーストラリアの政治学者デニス・アルトマン(『ゲイ・アイデンティティ――抑圧と解放』、『グローバル・セックス』が岩波書店から刊行されている)のGore Vidal's America(2005)があるが、これは政治学・社会学の観点からのヴィダルの著作へのアプローチであり、文学的な研究書としてはあまり参考にならなかった。ヴィダルの初期の作品については、J・W・オルドリッジが『ロスト・ジェネレーション以後』(荒地出版社。原著刊行1951)でかなりのページを割いて論じているが、50年代初頭という時代の趨勢もあり、感情的にさえ思えるホモフォビックな批判を繰り返している点が目立つ。
 ゴア・ヴィダルの現在置かれている文学的立場は、彼のライバルであるトルーマン・カポーティが生前置かれていた状況に酷似している。カポーティはあまりにスキャンダラスな人生を歩んだため、生前は文学的評価が低かった。死後、手の平を返したようにアカデミシャンたちに賞賛されたが、ヴィダルにも同じようなことが起こりうるのだろうか。

2011年6月3日金曜日

日本では約10年振りのゴア・ヴィダル紹介記事執筆

『Badi (バディ) 2011年 08月号』(6月21日発売)に掲載される私の記事、「ゴア・ヴィダル ~知られざる同性愛文学の巨匠~」のレイアウトが上がってきました。日本では恐らく約10年振りのゴア・ヴィダル紹介記事です。導入部が非常に難しかったので苦心惨憺したのですが、編集さんに手を加えて戴き、かなり良い出来になったと思います。流石にグラビア誌だけあって、写真も美麗なものばかり。私が指定しなかった写真まで掲載してくれる念の入れ様。『バディ』さんは本当に良い雑誌ですね。またお仕事したいなあ。

2011年5月30日月曜日

映画評:ゴア・ヴィダル出演映画『きっと忘れない』


『きっと忘れない』というと「ああ、ZARDの歌の」と反応されることが多いが、そうじゃねえよ、そういう邦題のアメリカ映画があるんだよおおお、ということで、今回紹介するのはゴア・ヴィダルの俳優としての出演作品『きっと忘れない』(原題:With Honors)。ヴィダルの俳優デビューは1945年(一説には1946年)、アナイス・ニンと出演した白黒のサイレント映画Ritual in transfigured timeにまで遡る。
 20歳の若きヴィダルの出演シーンは6:04から。興味のある方はご覧になって下さい。以後、ヴィダルは彼自身の役やエキストラのようなカメオ出演も含め、続々と映画出演を繰り返していくが、1992年の『ボブ★ロバーツ』まで本格的な映画出演は見送られた。
 ヴィダル自身が映画マニアで映画脚本執筆は決して金に困ったからだけではないことは、海外のヴィダル・ファンや主人公が映画オタクでもある彼の代表作『マイラ』の読者ならわかると思うが、実際にヴィダル自身、クラシックなミュージカル映画を偏愛し、ハーバード大学での映画についての講義をまとめたScreening Historyを出版している。俳優としての映画出演は飽くまで余技だが、そこには決して遊びだけではない、真摯さが感じられることもまた事実だ。ヴィダルが映画出演のチャンスを虎視眈々と狙っていたことを知っていた彼の生涯に渡るライバル、トルーマン・カポーティは『名探偵登場』で主役級の役を射止めた時、「ヴィダルのやつびっくりするぞ!」と快哉を上げた。
 ヴィダルの俳優としての演技の質に言及すると、残念ながら可もなく不可もなく、と言ったところだ。手堅い演技で与えられた役をしっかりこなすという、スキャンダラスな彼の経歴には似つかわしくない――失礼――老練さを発揮している。ただ、ヴィダル自身、大層なイケメン――アナイス・ニンやマーティン・エイミスはその容姿を絶賛している――なため、ヴィダルが重要な役回りをこなしている映画を観ることは美老年フェチにとってはたまらない快感であることも確かだ。
 さて、『きっと忘れない』だが、悲しいことに、ジョー・ペシの好演以外、特筆すべき点がある映画ではない。官僚を目指し、卒論の優秀賞を狙うハーバード大学の学生である主人公がジョー・ペシ演ずるホームレスと出会い、徐々にその考えを変えていくというストーリーだが……正直言って、よくある「社会から見下されている種類の人間と出会ったら賢い人だった」的な物語で、それほど感動する話でも笑える話でもない。
『きっと忘れない』のヴィダルの役回りだが、彼は一種の悪役として、主人公の卒論の指導教授として登場する。辛辣で厳格でエリート主義のハーバード大の教授としてのヴィダルはほぼ本人そのもので、ジョー・ペシとの論戦シーンも含め、素敵な美老年っぷりを見せつけており、ゴア・ヴィダル好きには一見の価値がある。
 ただし、ただし……ただそれだけの映画であることをくれぐれも忘れないで欲しい。ジョー・ペシとゴア・ヴィダルのファン、青春ヒューマンドラマ好きの方にのみ観る価値がある映画ではないだろうか。『ボブ★ロバーツ』や『ガタカ』のようにゴア・ヴィダルが重要な役回りを演じ、映画としても堂々とした出来映えである作品とは違う、ということを記して、本稿を終えたいと思う。
(この映画評は削除した私のゴア・ヴィダル・ファンBlog“Homage to Gore Vidal”(FC2)に掲載したものに加筆・修正を加えた)

2011年5月25日水曜日

Gore Vidal in Ravello Part3

・An Interview with Signor Vicenzo Palumbo at Hotel Villa Maria(ホテル・ヴィラ・マリッアでのヴィンセンゾ・パルンボ氏へのインタビュー 2011年3月9日~10日)

 ラ・ロンディネイアでのインタビューに引き続き、ホテル・ヴィラ・マリッアのロビーでヴィンセンゾ・パルンボ氏は2度に渡るインタビューに答えてくれた。私はゴア・ヴィダルの私生活にかなり踏み込むことを決意して、このインタビューに臨んだ。
インタビューが行われたホテル・ヴィラ・マリッアのロビー
――あなたとゴア・ヴィダルはどれだけ親しい間柄なのですか?
「私とヴィダルの付き合いは彼がラ・ロンディネイアを買った1972年から今までずっと続いている。39年になるね。去年(2010年)の夏、息子はロサンゼルスの彼の自宅に招かれた。彼はヴィダルの大ファンでね。私もそうだが、ヴィダルの本を全て読んでいる。ヴィダルも彼を可愛がっている」
――あなたが最も気に入っているヴィダルの著書は?
「回想録Palimpsestだね。小説だと『マイラ』と『マイロン』だ。ほら、そこの本棚に3冊ともある。彼はイタリアで非常に評価が高く、ベストセラー作家だ。ほとんどの著作はイタリア語に翻訳されている」
 ローマで日参した英書専門書店アングロ・アメリカン書店のマネージャーも同様のことを語っていた。9.11に関するヴィダルのエッセイ集Perpetual War for Perpetual Peace or How We Came To Be So Hated(2002)はアメリカ政府の対応への激烈な批判によって出版拒否に遭い、イタリアで先に出版され、話題を呼んだことで、ようやくアメリカで出版された。イタリアを代表する小説家、故・イタロ・カルヴィーノとゴア・ヴィダルは友人で、カルヴィーノはヴィダルの小説『マイラ』とDuluthを高く評価している。
――彼の毎日の生活はどんなものだったのでしょうか?
「彼はラ・ロンディネイアに引き篭もっていたが、ホテル・ヴィラ・マリッアのリストランテには毎日のように来たよ。ランチとディナーに来ることが多かった。大抵は仲の良いアメリカ人夫妻とハワードが一緒だったね」
ヴィダルが毎日通ったホテル・ヴィラ・マリッアのリストランテの看板
ヴィダルが毎日食事を摂ったテラス
 パルンボ氏は席を離れると本棚へ向かいながら言った。「それと有名人が泊まりに来ると必ずここへ連れてきた。ヴィダルのプライベート写真を見せてあげよう」彼は革で装幀された2冊の分厚いアルバムを取り出して戻って来た。そこにはどの媒体にも掲載されたことがないヴィダルやヴィダルとセレブ達のプライベート写真が満載だった。
パルンボ氏とヴィダル(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
ヴィダルとBBCの記者(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
左から一人置いてヴィダル、立っているのがパルンボ氏、ティム・ロビンス、スーザン・サランドン(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
左からヴィダル、ハワード・オースティン、ジョアン・ウッドワード(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
左からヴィダル、パルンボ氏、一人置いてルドルフ・ヌレーエフ(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
マット・ディロン(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
写真左、マット・ディロンの肩に手を掛けているのがパルンボ氏、右端がハワード・オースティン(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
――ヴィダルがラヴェッロで一番お気に入りだった場所は何処でした?
「自宅であるラ・ロンディネイアを除けば、ここだ。ホテル・ヴィラ・マリッアだ。お陰でここはゴア・ヴィダル・ファンの聖地のようになってしまっていてね(笑)五日前にもヴィダルの大ファンが泊まりに来たよ。君に会わせたかったな」
――ヴィダルは「ヴィラ・チンブローネのテラスから見る眺めは世界中で一番美しい」と言っていますが?
ヴィラ・チンブローネからの眺め
「それには秘密がある(笑)実はラ・ロンディネイアとヴィラ・チンブローネは一つの建造物なんだよ。プライベートな通路で繋がっているんだ。だから、ヴィダルは自由にヴィラ・チンブローネに出入り出来たわけだ」
――あなたがヴィダルと交わした会話の中で最も印象に残った言葉はありますか?
「彼は本当に人を笑わせることが好きで機知に富んでいた。33年間、毎日のように会話していたから今すぐ彼の印象に残っている言葉を一つだけあげろ、と言われても、とてもじゃないが思い出せないな。とにかく彼は知識と教養に溢れた男で、文学・政治・歴史・映画・時事問題、その他ありとあらゆることについて話したんだ。話題の引き出しは無尽蔵だったね」
――ヴィダルとハワード・オースティンは同性同士のカップルですが、奇異の目で見られたり、差別されたりはしませんでしたか?
「ヴィダルとハワードはゲイ(川本注・正確に言えばヴィダルはゲイではない。彼はゲイというレッテルもホモセクシュアルというレッテルも拒否している。女性との交際関係も豊富でポール・ニューマンがジョアン・ウッドワードと結婚する前にウッドワードと婚約していたこともあるくらいだ。しかし、バイセクシュアルというレッテルも嫌いで、パンセクシュアル――全性愛――という呼称を自分に当て嵌めるのを好む)だったからと言って、ラヴェッロで差別されたり、好奇の視線を浴びせかけられたりすることは全くなかったよ。この街にはアンドレ・ジッドやE・M・フォースターやヴァージニア・ウルフやトルーマン・カポーティやグレタ・ガルボ、パゾリーニのようなゲイやレズビアンやバイセクシュアルが大勢来ていたから、そういうことに関する偏見がないんだ」
――ということは、ヴィダルとオースティンはラヴェッロで普通に生活を営んでいたわけですね。
「そのとおり。ヴィダルは確かに引き篭もりがちだったが、散歩に出掛けることはよくあった。ただし、彼は一筋縄では行かない警戒心の強い、気難しい男でね。住民と打ち解けないんだ。彼に近づくのは容易なことではない。一旦、仲良くなってしまえば、非常に礼儀正しくて、親切で、優しくて、面白い人物なんだが。ラ・ロンディネイアを案内した時も言ったが、ハワードとは好対照だったんだ。ハワードは本当にフランクなナイス・ガイで街の人気者だったからね」
――そのハワード・オースティンは2003年に癌で亡くなりました。その時のヴィダルの様子はどうでしたか? オースティンの死が原因でヴィダルはラヴェッロを去ったのですか?
「ヴィダルは2003年にハワードが死んだ時は本当に悲しんだ。あれだけ健康な男なのに悲しみのあまり病気になってしまったほどだ。しかし、ヴィダルがラヴェッロを去ったのはそれが原因ではない。膝を壊したんだ。手術を受けたが治らなかった。お陰で彼は車椅子生活を余儀なくさせられている。1人で立つことすらままならない。立つ時はいつも誰かに手を貸して貰っている。ラヴェッロは階段だらけで歩けない人間は暮らしていけないからね。今はロサンゼルスに住んでいるよ」
――ヴィダルの健康状態は大丈夫なんですか?
「上半身は(笑)元気だよ。実は彼は去年の夏、ラヴェッロに来たんだ。とても元気だったし、頭の回転も衰えてはいなかった。車椅子になる前の彼と変わらなかったよ」
――去年、ヴィダルがポンペイを訪れていたのをニュースで読みました。
「そうだ。彼はイタリア再訪の旅に来たんだ。ポンペイに来る前にラヴェッロにやって来た。しかし、彼は車椅子だから、多くの階段を上って行かなければならないラ・ロンディネイアを再び訪れることは出来なかった。残念なことだ」
――ラ・ロンディネイアで起きた面白いエピソードを教えて下さい。Palimpsestにも書かれていますが、1994年7月にファースト・レディー時代のヒラリー・クリントンがヴィダルを訪問しましたよね?
「あれも大事件だったが、私が一番驚いたのはイタリアのTV局がヘリコプターでラ・ロンディネイアをアマルフィ海岸上空から空中撮影した後、そのままラ・ロンディネイアに無理矢理着陸して、ヴィダルにインタビューを始めたことだね。あの時は街中大騒ぎだった(笑)」
――ヴィダルは自分に関して書かれている伝記のほとんどが間違っていると言っています。親友のあなたから見て、彼の意見は正しいと思いますか? 彼は嘘や作り話だらけだと言っていますが。
「そんなことを言っているのか(笑)」パルンボ氏は急に断固とした口調になった。「私も幾つかの伝記に目を通したが、間違ったことが書かれているとは思っていない。どれも正しいことが書かれていると思う」ここでパルンボ氏は悪戯っぽく笑って私の目を覗き込んだ。どうやら「ヴィダルは気難しい男だって言っただろう?」と言いたかったようだ。
――フレッド・カプランの伝記でハワード・オースティンは「ヴィダルは豚だ。大食漢だ」と言っています。彼はそんなに食べるんですか? 一時期太ったのはそれが原因ですか?
「いいや、その発言は正しくないよ。彼は大食ではない。至って普通だな。ただし……酷い大酒飲みなんだ」
――「アメリカの作家はみんなアル中だ。アメリカにいたら作家はみんなアル中になってしまう。アメリカには何処かそういうところがあるんだ」(日本の文学書にこの問題発言は取り上げられたことがある)と言ったヴィダルがですか? フレッド・カプランの伝記には、ヴィダルが午後5時までは絶対飲まないようにしていた、と書いてあります。
「とんでもない! 彼はここ、ホテル・ヴィッラ・マリアに来て朝の10時からウィスキーを生で飲み始めることがしょっちゅうだったよ(笑)ウィスキーとウォッカがお気に入りでね」
――確かに、胃にポリープがあるのにウォッカを寝酒に飲んで就寝し、翌朝、ポリープが潰れて大量に吐血し、病院に担ぎ込まれたことは、ニュースでも取り上げられました。
「ああ。まあ、丈夫なうえ病院嫌いな男なので3日で退院してしまったが……(笑)」
――ヴィダルは「肺に煙を吸い込めないので煙草はもちろんのこと、マリファナやアヘンはやらないが、コカインは旬の牡蠣のようなものだからたまにはやることがある」と書いています。あなたはヴィダルがドラッグをやっているのを見たことがありますか?
「ドラッグをやっているところは見たことがない。それらしき様子だったことも見たことがない。33年間、1度もだ。酒だけだよ」パルンボ氏は意味深に笑いながらまた私の目を凝視した。「ヴィダルは偽悪家なんだよ」と彼が言いたがっているのがよくわかった。私は最後に相当明け透けな質問をぶつけることにした。
――ヴィダルは「私がエイズにならなかったかったのは、50代くらいから人とベッドを共にすることがなくなったからだ」と書いており、「年を取ると、セックスが訴訟に取って代わる」とマーティン・エイミスのインタビューでも発言していますが、本当のところはどうでしょう?
「さあ?(笑)どうだろうね(笑)彼はゲイ(川本注・だから違うって)だからね(笑)」と言うと、パルンボ氏は意味ありげな微笑を何度も何度も顔に浮かべながら私と握手し、インタビューは終了した。

 パルンボ氏が語ったゴア・ヴィダル像はアメリカやイギリスにおける彼のパブリック・イメージとそれほど差異はない。しかし、ヴィダルが「嘘は罪悪だ」と虚言症で有名だったライバルのトルーマン・カポーティを徹底的に攻撃し、100万ドルもの賠償金を要求する裁判を起こして最終的に謝罪させた割には、ヴィダル自身も細かい点では――罪のない誤魔化しがほとんどで嘘も方便と言ったところだが――私生活を守るためだったり、「冷戦時代のマルキ・ド・サド」の異名をとる自分のパブリック・イメージを強調するためにわざとアンモラルな人間であることをアピールしようと、事実と異なることを書いたり、発言したりしていることはよくわかった。そういった意味では実に有意義なインタビューだったと言えるだろう。そして、このインタビューの翌日、東日本大震災が起こり、その被害は遠くラヴェッロにも間接的に及ぶのだが、それはまた別の話だ。

 この他にヴィダルのパートナーだった故・ハワード・オースティンに関する取材をラヴェッロの住人に行いましたが、その記事の中の一部を『バディ』8月号(6月21日発売)に使ったので、『バディ』からの転載許可を待っています。Gore Vidal in Ravello Part4でそのインタビューを掲載する予定です。今暫くお待ち下さい。

2011年5月22日日曜日

Wikipediaには載っていない! 2011年のゴア・ヴィダルの動向Part5

ゴア・ヴィダルとのインタビューが本決まりになり、私は六月末日に渡米致しますが、その前に先日行われたモントリオールのブルー・メトロポリス文学祭におけるゴア・ヴィダルのオープニング・スピーチのニュースが入って来ましたので詳細を。カナダ人へのリップサービスは割愛します。
ゴア・ヴィダルはオープニング・スピーチで「アメリカ人は地球上で最も非常識な連中だ。私はただただ彼らが良くなることを願っている」とぶちかまし、「アメリカは、世界の国々へ経済的な援助をしている、と嘘をつき続けている」と発言。
「世界は石油が不足していることに感謝しなければならない。アメリカ帝国は歴史において更に小さな脚注に過ぎなくなるだろう」と続け、最後に「私は戦時下大統領だ」と語り、ブッシュ元大統領と共和党について「公然たるファシストの集まり」と断言した。
Gore Vidal in Montreal | rabble.ca

2011年5月20日金曜日

今日発売の『スナイパーEVE Vol40』にDVD『マイラ ―むかし、マイラは男だった―』の紹介記事が掲載されました


今日発売の『スナイパーEVE vol.40』のP.121「EVE FORUM NEWS」欄に私が執筆した「ハリウッドを震撼させたカルトムービー!! 『マイラ ―むかし、マイラは男だった―』」が掲載されました。
小さな囲み記事ですが、ご覧になって下されば幸いです。

2011年5月19日木曜日

ゴア・ヴィダルへの質問及び掲載媒体を募集します!

お知らせです。
ゴア・ヴィダルの出版社であるDoubleday/Vintage Booksやイギリスのゴア・ヴィダルのエージェントであるCURTIS BROWNなどに独自で交渉したものの、失敗。
タトル・モリ・エージェンシーを介し、再度粘り強く交渉を続けたところ、ゴア・ヴィダルのエージェントを突破することに成功し、ゴア・ヴィダルの秘書からメールが届きました。
メールには「インタビューに乗り気である。君はこちらへ来るのか、電話インタビューしたいのか? 早く相談したい」と書いてあったので、私は即座に「直接会ってインタビューしたい。六月中旬以降ならいつでも渡米する」と返信しました。

ほとんどゴア・ヴィダルのインタビューは本決まりになった、と言っていいでしょう。
ここでゴア・ヴィダルへの質問を皆様から広く募集します。

ゴア・ヴィダルの愛読者である方、ゴア・ヴィダル原作の『マイラ ―むかし、マイラは男だった―』をDVDで観た方、ゴア・ヴィダルが脚本を手掛けた映画を見た方、ゴア・ヴィダルが俳優として出演した映画を見た方、トルーマン・カポーティとの確執でゴア・ヴィダルを知っている方、ゴア・ヴィダルの名前を知っているだけだが、彼に訊いてみたいことがある方――彼はアメリカでは「リベラルのゴッドファーザー」と呼ばれるほど著名な政治評論家でもあります――、LGBTの方――ゴア・ヴィダルはパンセクシュアル(全性愛者)でゲイ小説『都市と柱』やトランスジェンダー小説『マイラ』の著者でもあり、世界的に著名なLGBTアクティヴィストです――、どんな方でも構いません。

ゴア・ヴィダルの詳細なプロフィールについては、私がそのほとんどを執筆しているゴア・ヴィダル - Wikipediaをご覧下さい。

私のメールアドレスに質問したいことを送るか、このBlogのコメント欄に質問を書き込んで下さい。私があなたに代わって質問して来ます。
どうぞよろしくお願い致します。

なお、掲載を約束している媒体が1つ、掲載を企画会議に掛けている段階の媒体が2つ、返事待ちの媒体が1つありますが、どれもまだ本決まりではありません。
ゴア・ヴィダルへのインタビューの掲載媒体を募集しています。
総合誌・文芸誌・政治雑誌・映画雑誌・新聞なんでも構いません。
もし掲載してみたい、という編集者の方がいらっしゃったら私のメールアドレスまでご連絡下さい。
掲載媒体の読者のニーズに合わせた質問をして来ます。
どうぞよろしくお願い致します。

なお、 映画『マイラ ―むかし、マイラは男だった―』の原作である『マイラ(ゴア・ヴィダール)』 復刊リクエスト投票は現在も続行中です。
現在、38票。復刊には100票が目処です。
皆様のご協力をお願いします。

2011年5月18日水曜日

Gore Vidal in Ravello Part2

・An Interview with Signor Vicenzo Palumbo(ヴィンセンゾ・パルンボ氏とのインタビュー)
ゴア・ヴィダルの親友ヴィンセンゾ・パルンボ氏 




ヴィンセンゾ・パルンボ氏は現在72歳。イタリア語、フランス語、英語を操る教養人で、元々はフランス語の教師をしていたが、現在は3つのホテル、ホテル・ヴィラ・マリッア、ホテル・ジオルダーノ、ヴィラ・エヴァ、そしてゴア・ヴィダルから託されたラ・ロンディネイアのオーナーでもある富豪である。ヴィダルとは彼の息子共々、親友で、33年間に渡ってヴィダルはホテル・ヴィラ・マリッアのリストランテに通い詰めた。ヴィダルのパートナーであるハワード・オースティン亡き後、最もヴィダルの私生活に詳しい人物である。
 私はラ・ロンディネイアを案内してもらいながら最初のインタビューを行い、その後ホテル・ヴィラ・マリッアにて2日間、合計3日間に渡って取材を敢行した。なお、このインタビューは全て英語で行われた。

At La Rondinaia(ラ・ロンディネイアにて 201138日)

ホテル・ヴィラ・マリッアからラ・ロンディネイアに向かう細い階段を歩きながらパルンボ氏は話し始めた。私はまずパルンボ氏から見たヴィダルについての質問を投げかけてみた。「彼はラヴェッロの住民と打ち解けて(familiar)いましたか?」と訊くとパルンボ氏はfamiliarfamily(家族)と誤解し、「彼はゲイだ。ハワードもゲイだ。家族なんかいやしないよ」とやたらと「ゲイ」という単語を大声で連呼したため、私は少々怯んでしまった。パルンボ氏は続いてヴィダルのラヴェッロでの生活と性格について語り出した。
「ヴィダルは今でもラヴェッロの名誉市民だが、ラ・ロンディネイアに引き篭もっていることが多かったね。彼のパートナーのハワード・オースティンとは好対照だ。ハワードは社交的なナイス・ガイで毎日ラヴェッロを歩き回っていたから。オールディーズを歌うのが非常に上手かった。素晴らしい歌手だったよ。ヴィダルは変人で偏屈だったが、人を笑わせることが大好きだった。ユーモアとは違うんだ。ウィットに富んでいるんだ。とても面白い人物だ。イタリア語は読めたし、聞き取れたんだが、どうしてなのか自分でイタリア語を話すのを嫌ってね。ただし、イタリア人にイタリア語で話しかけられることは好きだった。そして英語で答えるんだ。変わっているだろう? ここがラ・ロンディネイアだ。ヴィダルが住んでいた頃は彼が著名人ということもあって厳重な電子ロックがかかっていたんだよ(英国作家でヴィダルにラ・ロンディネイアでインタビューしたマーティン・エイミスも同じことを書いている)」
 ラ・ロンディネイアの最初の入り口とパルンボ氏


「ここが雑誌のグラビアなどにも多数掲載された、ヴィダル専用のアマルフィへの直通階段だ。30分でアマルフィまで下っていけるが、下るのも上るのもかなりきつい」
ヴィダル専用アマルフィ直通階段
 私は取材の空いた時間にラヴェッロからアマルフィまで歩いてみたが、2時間かかったうえ、ひたすら続く階段を下るだけで疲れ切って死にそうになり、アマルフィでタクシーを拾ってラヴェッロへ帰った。とてもあの階段を上るなどということは常人には出来ない。
ラヴェッロからアマルフィへの案内看板
ラヴェッロからアマルフィへの階段
途中で階段が閉鎖されていたため私はこれを乗り越えた
アマルフィ到着
ヴィダルが毎日通ったアマルフィ海岸
「それをヴィダルは車椅子になるまで日課にしていたんだ。マーティン・エイミスがヴィダルと一緒にここを上り下りした時、死にそうな思いをしたと書いていたって? そうだろうね。ヴィダルは超人だ。彼の長寿と健康の秘密はこの階段にあるのかもしれないな」それならば、と自分も階段を下ってみようとした私はパルンボ氏に制止された。「おおっと、今、そこは閉鎖してあるから入っちゃ駄目だ!」
 門を抜け、長い回廊を通る。回廊の右手には芝生に覆われた巨大な庭が見えた。ヴィダルはそこで犬を放し飼いにしていたという。回廊は途中から階段となり、母屋へと繋がっていた。

回廊
回廊の階段

回廊からの眺
「ここがヴィダルご自慢のプールだよ」


「さて、やっと母屋だ」母屋の門にはヴィダルが守護像として置いていたキュベレ像があった。

母屋の門
キュベレ像

  パルンボ氏は入ってすぐ左の部屋に私を導き入れた。「ヴィダルの書斎だよ。それほど大きくないだろう。彼はここをファンのためにほとんどそのままにしてある」

ヴィダルの書斎
ヴィダルが書斎に残していったポートレイト
「本棚を見てごらん。ヴィダルの著書が世界各国で翻訳されたものも含めて全て揃っているだろう?」そこには邦訳されたヴィダルの著作も並んでいた。「君の言うとおり、ヴィダルは8000冊の蔵書を全てアメリカに持ち帰ってしまったがね。これが彼の机だ。タイプライターを4つ、自分のポートレイト、そしてラ・ロンディネイアで最後に飲んだ酒のボトルとコップまで残していった(笑)」

ヴィダルの机
ヴィダル愛用のタイプライター
予備のタイプライター
ヴィダルが最後にラ・ロンディネイアで飲んだ酒とコップ
図々しくもヴィダルの机に座る私
 書斎で一頻り撮影を行った後、パルンボ氏は巨大な邸宅の中を早足で案内し始めた。
「ここがヴィダルの義理の兄妹、ジャクリーン・ケネディ・オナシスが泊まった部屋だよ。彼らの仲は複雑なものだったようだが(笑)」
ジャクリーン・オナシスが使った部屋(改装中)
ジャクリーン・オナシスが使ったバスルーム(改装中)
 パルンボ氏はすぐにジャクリーン・オナシスが泊まった部屋を早足で通過すると、72歳とは思えない敏捷さで階段を駆け上りながら言った。
「他にも部屋が無数にあるのでハイペースで行こう。日が暮れてしまう。ラ・ロンディネイアは改修中で照明がないんだ。ここがヴィダルの元婚約者だったジョアン・ウッドワードとポール・ニューマン夫妻が泊まった部屋だ。ほら、ジョアン・ウッドワードのポートレイト」

ヴィダルの元婚約者だったジョアン・ウッドワードの写真
「こっちがスーザン・サランドンが泊まった部屋だ」

スーザン・サランドンが泊まった部屋
「テラスに出よう。素晴らしい眺めだろう? 一旦、屋上へ登ろう。写真を撮ってあげるよ。下に幾つか部屋が見えるだろう? あそこは独立したアパルトメントとしても使えるくらい広いんだ。今は改修工事を行っている」

テラス
屋上への階段
屋上
屋上からの眺め
 テラスを経由して小さな回廊を通る。そこには年代物の豪華な壷が道に沿って並べてあり、たわわに実った蜜柑の樹が植えてあった。パルンボ氏は果実をもぎ取り、私に手渡した。
「ほら、食べ頃だ。あげよう。美味しいだろう?」蜜柑はオレンジとは違い、日本のそれに近く、果汁たっぷりで瑞々しかった。「ハワードが生きていた頃、彼は庭で葡萄を作って自家製ワインを醸造していたからラ・ロンディネイアは果樹園の様相を呈していたね(笑)さて、ここからがヴィダルとハワードの居住スペースだ。ヴィダルのベッドルーム、バスルーム。ハワードが使っていたキッチン。リビング。ハワードは料理を作るのが大好きで料理の本を出版したこともあることは知っているね? さて、そろそろ日が暮れてしまう。夜になる前にここを出なければ」

1878年製の壷
蜜柑の樹
蜜柑
ヴィダルのベッドルーム
ヴィダルのバスルーム
キッチン
リビン
こうして我々はラ・ロンディネイアを後にした。あっという間に終わった訪問に思えたが時計を見たところ、既に3時間が経過していた。それだけ巨大な邸宅だったわけだ。ホテル・ヴィラ・マリッアに帰り着いてから、パルンボ氏のアシスタント、シニョーラ・リーナが小声で耳打ちしてきた。

シニョーラ・リーナ
「ラ・ロンディネイアは今、買い手を募集しているんです。110億円するんだけど、日本人はお金持ちだから買いたいという人はいませんか? 宣伝してくれるととても助かります」
 私は笑いながら、日本は今、未曾有の大不況にあること、格差社会になったために貧しい人間は増えたが金を持っている人間は確かに持っているし、アマルフィを舞台にした文字通り『アマルフィ』という邦画が作られたからアマルフィの人気は高いが、ラヴェッロは日本ではほとんど知られていないから難しいだろう、110億円あったら私が買いたいくらいだが、まあ宣伝してみるよ、と言って、この日のインタビューは終了した。